初版発行日 1986年7月20日
発行出版社 文藝春秋
スタイル 長編
凍てつく雪国から来た夜行列車でー絞殺された男は、誰なのか?今はなき座席急行「津軽」を舞台に、今はなき出稼ぎ労働者たちの哀愁を描いた、傑作ミステリー!
あらすじ
上野に到着した青森発上り急行「津軽」の車内で絞殺死体が見つかった。身元は保険証から赤木喜一と判明したが、郷里の湯沢からは9日前に上京したという。しかも駆けつけた妻は「主人ではない」と証言。犯人は誰を殺したのか。赤木本人はどこに消えたのか。追憶の彼方へ去りし”出稼ぎ列車”が蘇る。
小説の目次
- 出稼ぎ列車
- 手掛かりを求めて
- 第二の殺人
- 望郷
- 百万円の代償
- 「津軽」で帰る
冒頭の文
東北地方に、今年になって何回目かの雪が降った。秋田、山形といった豪雪地帯では、初めて除雪車が出動したという。雪の季節の到来である。
小説に登場した舞台
- 上野駅(東京都台東区)
- 給田(東京都世田谷区)
- 仙川駅(東京都調布市)
- 三鷹駅(東京都三鷹市)
- 中洲(福岡県福岡市博多区)
- 博多駅(福岡県福岡市博多区)
- 長野(長野県長野市)
登場人物
警視庁捜査一課
- 十津川省三:
警視庁捜査一課の警部。主人公。 - 亀井定雄:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の相棒。 - 西本明:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の部下。 - 日下淳一:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の部下。 - 清水新一:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の部下。 - 本多時孝:
警視庁捜査一課長。十津川警部の上司。
事件関係者
- 赤木喜一:
42歳。秋田県の湯沢に住む農家。世田谷区給田のK工務店で出稼ぎをしていた。 - 赤木君子:
赤木喜一の妻。 - 赤木みどり:
赤木喜一と君子の娘。中学3年生。 - 菅原正:
通称「杉本正」。42歳。浮浪者。 - 菅原佐代子:
菅原正の妹。32歳。弘前のクラブで働いている。 - 林:
田原町の林レストランのオーナー。秋田県出身。秋田県人会の幹事。元プロレスラー。 - 丸山茂男:
秋田県雄勝町からの出稼ぎ労働者。成城のマンション建設現場で働いている。 - 丸山幸子:
丸山茂男の妻。 - 木下勇次:
秋田県出身の出稼ぎ労働者。世田谷区の区民会館の建設現場で働いている。 - 木下里子:
木下勇次の妻。 - 寺本亜矢子:
31歳。浅草でスナックを営む。林の愛人。 - 荒井史郎:
40歳。無職。傷害の前科がある。 - 沼田信:
NJPプロレスに所属していた元プロレスラー。
その他の登場人物
- 片山:
45歳。急行「津軽」の専務車掌。 - 池田:
52歳。急行「津軽」の車掌長。 - 鈴木:
急行「津軽」の専務車掌。 - 三谷:
秋田県警の警部。 - 安藤:
警視庁捜査一課のスリ係。 - 横山:
秋田県・湯沢の農家の男。世田谷区給田のK工務店で出稼ぎをしている。 - 加藤信次:
秋田から品川のM電機に出稼ぎに来ている男。 - 高木:
丸山茂男と一緒に出稼ぎに来ている男。 - 菊池:
丸山茂男と一緒に出稼ぎに来ている男。 - 山川:
成城署の刑事。 - 島田清:
秋田からの出稼ぎ労働者。横浜の現場で働いている。 - 細江:
Nテレビのプロデューサー。 - 戸山:
福岡県警の警部。 - 井上:
クラブ「花の園」の社長。 - 合田:
暴力団S組の組員。NJPプロレスに所属していた元プロレスラー。 - 遠井はるえ:
新宿のスナックのホステス。 - 河原豊:
浅草でパチンコ店を2店経営している。 - 春木:
浅草の理髪店を営む。
印象に残った名言、名表現
(1)東北人の律儀さ。
どの顔も無骨で、床屋に行っていたばかりという顔である。それはその人たちの律儀さを示しているのだろう。
(2)東北農家の男の指。
片山は死体の手に触ってみた。ひやっとした冷たさだが、太い頑丈な指だった。山間部で、斜面に作られた田畠を黙々と耕し、豪雪の時は雪と戦っている被害者の姿を想像した。
(3)やましさのある人間は、小さなところで嘘をつく。
「別に隠す必要がないことを、隠したりするのが引っかかるんですよ」
(4)小学校5年生の娘がお父さんのことを書いた作文
私のお父さんの手は大きくて、ごつごつしています。
だからはたかれると、とても痛いです。でも頭をなぜられると、気持のいい手です。
春から秋にかけて、お父さんは畠仕事をするので、いつも土の匂いがする手になります。
冬はお父さんは、出稼ぎに行きます。でも、東京に行ってしまうので、どんな匂いの手になっているかわかりません。
私の家にとっては、とても大切な手です。
(5)出稼ぎ農家の生活の苦しさ。
「旦那たちが出稼ぎに出て、現金収入があるのを見越して、借金をして家を修繕したり、農機具を買ったりしている家が多いのだそうです。旦那が倒れたとたん、その借金が返せなくなるわけですよ。」
(6)東京生まれ東京育ちの人は、望郷の念を、肌感覚で理解できない。
東京に生まれ育った十津川には、はっきりとした郷土意識というものがない。望郷の念は理屈としてはわかるのだが、なかなか実感にはならない。その点で、十津川は、時々亀井を羨ましいと思うことがあった。
感想
かつての上野駅は、希望と哀愁が入り交じる、独特の雰囲気があったのだと思う。
上野駅は、東北の玄関口と言われていた。それは、本作の舞台となった座席急行「津軽」特急をはじめとした、東北と東京をつなぐ夜行列車の発着駅が、上野駅だったからである。
希望を胸に上京してくる若者たち、生活のために上京する出稼ぎ労働者、東京で一旗揚げて錦を飾る成功者、夢やぶれて都落ちする落伍者、故郷に思いを馳せる東北人。
こうした人々の思いの、離合と集散の場が、上野駅だったのだ。
2021年現在。すでに、上野駅発着の夜行列車は、役目を終え、姿を消している。東北と東京をつなぐ列車は、東京駅発着の新幹線である。そもそも”上野駅が東北の玄関口”という認識も、薄れているのだ。
現代は、東北からの出稼ぎ労働者の数が少なくなった。海外からの観光客は、近隣の秋葉原や浅草を目当てにする。相対的に上野の存在感が、下がっていると、感じる。
本作は、1986年に刊行された。
この当時は、上野発着の夜行列車が健在だった。”ジャパン・アズ・ナンバーワン”の時代で、東京にも沢山仕事があった。東北からの出稼ぎ労働者も、数多くいたと言われている。
だから、座席急行「津軽」を舞台にした本作は、この時代の社会の記録として、価値の高いものだと思う。
とくに、この当時の出稼ぎ労働者の哀愁や、同郷人を労りあう人の絆。歴史書には書かれない、目に見えない心を描いた作品は、とくに貴重である。
もちろん、ミステリーとしても抜群におもしろい。1980年代の西村京太郎先生の作品は、とくに切れ味抜群である。
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