初版発行日 2008年10月6日
発行出版社 講談社
スタイル 長編
人の生死に関わる判断をするトリアージ。テロ事件のような大規模な現場で、果たして本当に冷静な判断を下せるのか?
あらすじ
刑務所内で囁かれる石見銀山爆破計画。死刑囚から噂を聞いた十津川警部は信じられずにいたが、この囚人が起こした事件の被害者が銀山近くにいると判明。しかもこの男は十津川が事件現場で下した治療順位判断(トリアージ)が原因で、足を切断していた。因縁を感じ捜査を始めたところ、十津川に十億円を要求する爆破予告犯からの脅迫が!?
小説の目次
- 救急の時
- あるグループの存在
- 標的は十津川
- 石見銀山
- 十億円
- 最後の取引
- 最後の挨拶
冒頭の文
警視庁捜査一課の十津川には、今でも、心に重くのしかかっている事件があった。去年の九月二十日に、起きた事件である。
小説に登場した舞台
- 宮城刑務所(宮城県仙台市若林区)
- 出雲縁結び空港(島根県出雲市)
- 大森町(島根県大田市)
- 石見銀山(島根県大田市)
- 石見銀山世界遺産センター(島根県大田市)
- 清水谷製錬所跡(島根県大田市)
- 温泉津温泉(島根県大田市)
- 奥軽井沢(長野県・軽井沢町)
- JR軽井沢駅(長野県・軽井沢町)
- 東京ヘリポート(東京都江東区)
登場人物
警視庁捜査一課
- 十津川省三:
警視庁捜査一課の警部。主人公。 - 亀井定雄:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の相棒。 - 日下淳一:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の部下。 - 西本明:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の部下。 - 北条早苗:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の部下。 - 三田村功:
警視庁捜査一課の刑事。十津川警部の部下。 - 本多時孝:
警視庁捜査一課長。十津川警部の上司。 - 三上刑事部長:
刑事部長。十津川警部の上司。
事件関係者
- 横山浩介:
30歳。殺人犯で服役していた男。出所後に2件の銃殺事件を起こし、死刑になる。 - 三村進:
26歳。京王線明大前駅近くで横山浩介に銃殺される。 - 溝口明美:
OL。上北沢駅近くの自宅マンション付近で横山浩介に銃殺される。 - 木村博美:
調布市の公民館で横山浩介に銃殺される。 - 三宅四郎:
28歳。医師。木村博美を助けようとして、横山浩介に左足を撃たれ、左足を切断した。 - 森口亮:
40歳。元看守。最近まで府中刑務所で働いていた。 - 安藤吾郎:
38歳。元囚人。最近まで府中刑務所に服役していた。かつて自衛隊の爆発物処理班をしていたことがある。 - 金子慶太:
39歳。元看守。最近まで宮城刑務所で働いていた。現在は足立区千住に住んでいる。 - 剣持隆平:
30歳。元看守。最近まで網走刑務所で働いていた。現在は神奈川県小田原市に住んでいる。 - 戸村新太郎:
元囚人。最近まで宮城刑務所で服役していた。 - 中沢順一:
30歳。元囚人。最近まで網走刑務所で服役していた。 - 佐野義郎:
去年の5月に資産家から10億円を強奪した罪で服役中。 - 長井実:
35歳。売れっ子漫画家。 - 長井小百合:
37歳。長井実の妻。一昨年、平塚の海岸で死亡しているのが発見される。
その他の登場人物
- 戸川:
横山浩介を弁護した弁護士。 - 田口:
中央新聞の社会部に所属。十津川警部の大学時代の同級生。 - 篠塚晴美:
30歳。銀座のクラブのホステス。佐野義郎と交際していた。 - 伊藤美津子:
32歳。浅草で美容院を経営している。佐野義郎と交際していた。 - 大杉里美:
29歳。AV女優。佐野義郎と交際していた。 - 葛城:
島根県警の警部。 - 坂井:
大田市の市長。 - 中山:
石見銀山資料館の館長。 - 中尾:
石見銀山の有力者。 - 小山:
竹下法律事務所で働く弁護士。佐野義郎の裁判の弁護をした。 - 加藤:
運送会社の作業員。 - 目黒:
大森町の診療所の所長。
印象に残った名言、名表現
(1)殺人に対する直接的な動機が見当たらない。
被害者に対する憎しみではなくて、いってみれば、社会に対する憎しみを、二発の弾丸に込めているのではないかと、十津川は解釈した。
(2)大森町の町並み。
立派な昔の代官所や、大きな構えの。昔の酒造りの家があり、しっくいの壁の白さや、この地方独特の赤い屋根瓦が、美しい色彩のコントラストを見せている。
長い間、風雨にさらされて、木の壁も玄関の格子も、脱色されたモノトーンの世界である。
(3)十津川警部の十八番。
私が、あなたにいいたいのは、われわれ警察には、全て、分かっているということなんですよ。この期に及んでウソをつけば、かえって、あなたは、不利な立場に、追い込まれていく。だから、全てを、正直にいってもらいたい。
総評
本作には、3つのポイントがある。
1つ目は、4つの事件を組み合わせていることだ。
石見銀山の爆破予告と、10億円要求事件がメイン。このメインの事件に関連する3つの事件があり、合計4つの事件を解決する複雑な構成になっている。3つの関連事件だけでも、短編がつくれるくらいの読み応えがある。
2つ目は、トリアージを扱っていることである。
トリアージは、「大事故・災害などで、同時に多数の患者が出た時に、手当ての緊急度に従って優先順をつける」こと。2000年代なかば頃から、日本でも注目されていたトピックであり、時流をうまく取り入れる、西村京太郎先生の手腕が発揮されている。
本作では、犯行を犯した人間と、その犯行の被害にあった被害者。それぞれ同じ場所で負傷している。当然ながら、犯人より被害者を優先したくなるのが、人情というものだ。しかし、私情を一切はさまないで、症状の重さで判断するのがトリアージなのである。
ことばにすると簡単なように見えるが、かなり難しい作業だと言われている。そもそも、所見で重症度を判断するのが難しい。
また、「助けてくれ!」と泣すがる被害者もいる。「自分の家族を優先してくれ!」と、必死に頼みこむ人間もいる。「なぜ、こっちが後回しになるのだ」と怒り出す人もいる。
ある意味、カオスとも呼べる状況を目の前にしたら、どうしても、冷静な判断ができなくなってしまう。
本作では、トリアージを実際に行っているときの、医師の揺れ動く心情も、繊細に描かれている。
「私が、赤いタグをつければ、その人が優先的に、病院に、運ばれていきますが、私が、判断を間違えて、黄色いタグをつけてしまうと、その人は、後回しに、されてしまいます。その人が、私の間違いのせいで、亡くなってしまえば、私が、一人の人間の命を奪ったことになってしまいます」
そして、3つ目は、2007年に世界遺産登録された、石見銀山が舞台になっていることである。作品刊行当時、話題になっていたホットなスポットなのだ。
注目すべきは、本作が、石見銀山のガイドのようになっていることである。
例えば、石見銀山に龍源寺間歩、大久保間歩、釜屋間歩があること、釜屋間歩の周りに、銀山で働いていた人たちの集落跡があること。間歩の中は狭い穴がいくつも空いていて、まるでモグラの穴のようになっていることなど、石見銀山内部の様子が、わかりやすく描かれている。
周辺の観光スポットである大森町や、温泉津温泉も登場する。
そして、石見銀山の価値について、このように締めくくっている。
「現代の人間は、現代の科学、技術の眼で、ものを見、判断します。この石見銀山の銀の精錬技術が、現代の科学、技術につながっていれば、産業遺産ですが、つながっていない、非現代の科学、技術だから、産業遺跡なのです。この産業遺跡の方が、数が少なく、貴重なんです」
コメント